院長 鈴木裕之がつづるブログです。院長がその日の気分に合わせて、書きつづっていくモノローグです。読んだ感想をどしどしお寄せ下さい。「コメント」をクリックすると書き込みができます。

2009年がスタートした。今日ですでに6日が経過し、すずきクリニックでも通常診療が始まりお正月気分はすっかり消えてしまった。去年の世相を象徴する漢字には「変」が選ばれたそうだが(日本漢字能力検定協会、12月12日発表)、すずきクリニックでも例外でなく診療業務の改変、スタッフの交代などハード、ソフト両面で変化があった。特に診療面では今までのやり方にとらわれることなく、患者さんの動向からかなり対応を変えた。細かいことは「企業秘密」なのでここには記さないが私としては間違った方向には進んでないと思っている。
さて2009年にすずきクリニックは何をめざすべきであろうか? 患者さんの意向も大切だが、患者さんをすずきクリニックの目指す方向に誘導することも重要だと思っている。開業してからの2年間は患者さんの気持ちを探ることに重きを置いた診療で、その中ですずきクリニックの基本的な方針を理解してもらう努力をしてきた。幸い最近では「なんでも診る」という姿勢を受け入れてもらえる患者さんが増え、医師鈴木裕之個人をわかって受診してもらえるようになったと思っている。そういった信頼関係の中で今後はもう少し患者さんにとっても私にとってももう少し「高み」を目指したい。
具体的には患者さんの病状をさらに改善していきたいと思っている。いろいろな病態があるが、同じ病気での診療が長くなるとどうしても現状に満足してしまい、もう一歩いい状態を目指す努力を怠りがちになる。『まあ、これくらいでしょうがない』というような安易な気持ちが両者(患者さんと私)に湧いてきてしまうことがある。それを防ぐためにはただ薬を増やせばいいということではなく、生活習慣の改善などにもう一度、注意を傾ける必要があろう。また、一つの病態にとらわれ、新たに生じた他の疾患に気がつかない場合もあり、『病気を診ると同時に人も診る』姿勢も忘れてはいけないと思っている。糖尿病の患者さんにがんの発生が多いこと、がんの患者さんに別のがんが生じることなど例は多い。
要はすずきクリニック3年目のマンネリ化防止宣言である。私の今までの経験からしてもこれは『言うは易く行うは難し』である。簡単なようでいて日常診療の中で患者さんにあわせて確実にステップアップすることはたやすくない。ただ、そういう気持ちを忘れていては実行などできないわけで新年の仕事始めにもう一度、心に刻むつもりで宣言してみた。
(写真は冬の朝を迎えたすずきクリニック。屋根の上方に月が見える。(2008/12/16撮影))

今年の12月で男性型脱毛症治療剤「プロペシア」を使ってからちょうど3年間が経過した。プロペシアの発売当初(2005年12月)から1mg錠を連日、自分に投与しその効果を確認してきた(詳細はこのブログ内の2006年12月14日、2007年12月2日の記事参照)。今回はその3回目の報告となる。
『百聞は一見にしかず』、まず写真をご覧いただきたい。この写真が今日のブログのすべてである。こうして治療前から治療開始後3年まで並べてみるまでは自分でも気がつかなかったが、かなりの効果が見える。特に2年目から3年目はそれまでなかなか効果が現れなかった頭頂部にも発毛が見られ、ほぼ頭部全体を黒い毛が被ったことがわかる。行きつけの理容店でも「先生、髪の毛増えたね〜。見違えるようだよ。」とも言われているし、頭頂部だけでなくそもそも脱毛の無かった側頭部の髪も横方向に強く張り出すようになって、理容店ではその処理に手間がかかるようになったのである。
さて、プロペシアの発毛効果はこのように写真で比較すれば十分に確認できるが、その効果がその人の精神状態に及ぼす影響を客観的に測るのは難しいと思う。精神的効果について普遍的な評価は皆目見当がつかないが、幸い今回は自分自身のことなので、この一例だけについて述べることはできそうだ。実際、髪の毛が増えることによって精神的にも良好な変化があったと思う。頭を気にすることはそれなりに減ってきたし、体の自信も少し増えたような気がする。ただ、写真で見るほどの大きな精神的変化は今のところない。髪の毛が薄かった時のイメージをそのまま自分自身で引きずっているためだと自分で判断している。これは気持ちの問題であるから、今後さらに好転する可能性に期待したいところだ。
いずれにしても体に対する自信というものは髪の毛だけではなく年齢的なものや他人からの評価なども大きく関わってくるので、プロペシアの効果だけを切り離すわけにはいかないであろう。自分の中では、五十代に入り『ただ若けりゃいいのか』というような考え方も生まれてきており、「年相応」をねらうのがベストだというのが本音だったりもする。今後はプロペシアの販売元、万有製薬の学術担当者から伺った「ある程度効果が見えたら、2日に1錠で十分効果を維持できますよ。」という言葉を信じ、内服量を半減して今後また1年間の追跡調査に入ることにした。
(写真は上から、プロペシア内服前(2005/12/20)、内服後1年(2006/12/13)、内服後2年(2007/11/28)、内服後3年(2008/12/24)の私の頭髪。撮影は比較のため必ず散髪当日に、同じ場所で、同じ条件で行った。)

もうあれは何年前のことだろうか? 確か20数年以上前のある日、私を襲った恐怖のできごとを今日ここに書くことにする。その年の元旦に私はスケートの滑り初めをしようと実家近くの新潟県のあるスケートリンクに弟と一緒にでかけていた。快調な滑り出しで気分よく滑っていたのだが、ふと見ると白いリンクの上に赤いものが落ちている。『誰かがコートのボタンでも落としたのかな?』と思ってよく見ると、その赤い点は点々とリンクの上で線を描いていて、自分の足元で止まっていた。その足元に目をやると今まさに赤い点が増えたばかりで、その元を辿ると自分の左手中指にたどり着き、それは手袋を通してしたたり落ちる自分の血そのものだった。自分の血でリンクを染めてしまっていたのだった。
血が出てるのに痛くない。しかし、出血している場所を見れば毛糸の手袋は鋭く線状に切れ、その間に見える中指の爪のすぐそばから血が出ている。『そうか!、さっき尻もちをついて転んだ時にスケート靴のブレードで自分の指を切ったのか!寒さのせいで感覚が麻痺してるんだ。』 ようやく事情が飲み込めた私は右手で左中指を固く握りしめ、救護室へと滑った。振り返るとリンクの中央はまだ血で染まったままだ。
傷は思ったより深く、外科医の自分でもこれは縫合が必要と判断し、弟の運転で近くの救急指定病院に向かった。幸い診察してくれたのは整形外科医で「こりゃ、あんた、縫わないとだめだねぇ。」といわれ、救急外来からそのまま手術室に連れて行かれた。そこでかの整形外科医は「外科医なら手洗いは得意だよね。いま局所麻酔してあげるから自分でいつものように手洗ってよ」と言った。こんな時にふだんの手洗いが役に立つと思ってもみなかった。出血はまだ続いていたが麻酔のおかげで痛くなく、傷の部分も思いっきり洗うことができた。そして手術台の上に仰向けになって左腕を横に伸ばした格好で縫合手術が始まった。彼は「やっぱり腱が切れてるなあ。1か月の固定が必要なんだけど、外科医が指を傷つけたことが教授に知れるとヤバイだろうから、普通なら外固定にするところを内固定にしておくよ(外固定はいわゆるギブス固定で、外から固定されるので手術前の手洗いができず、手術に入れなくなる。内固定は関節の前後の骨に鋼線を通して固定するので一見するとケガをしたことがわからず、手術にも参加できる。)」と粋な計らいをしてくれた。
秋田に帰って来て、翌週からの手術にはいつものように入った。左手中指だけが不自然な格好で反りかえっていたのだが、教授の目に触れないように上手くごまかして、教授の怒りをかうことなく無事に1か月が過ぎた。一年先輩の整形外科医に頼んで、整形外科の外来でこっそり鋼線を抜去してもらったのだが、その時の痛みの方が実際にケガした時よりも数倍痛かった。私が20代の頃の思いで深いエピソードだ。
(写真は現在の私の左手中指、左上から右下に向かって斜めの瘢痕線が今も残っている。(2008/12/23撮影))

当日(12月13日)、すずきクリニックに足を運んでいただいた81人という大勢の方に改めてお礼を言いたい。私の予想では来てくれるのは20人前後で席は30人分用意しておけば十分だと思っていたのだったが予想は大きくはずれてしまった。席が足りなくて立ち見を強いられた方、お尻の半分しかイスの無かった方、真横の席で出演者の姿がよく見えなかった方、一番前でマットに座るしかなかった方には心からお詫びしたい。前回、笑学校インすずきクリニックの概略を書いたが今回は表に出なかった姿を書いてみる。
まず、私がなぜ「これだから医者はやめられない」という医療漫談をやる事になったかというと人星亭喜楽駄朗さん(日本笑い学会東北支部秋田県幹事)の存在が大きい。日本笑い学会には2年前に入会していたのであるが、今年(2008年)の5月31日に彼から「日本笑い学会秋田県人会」に出てみませんかというメールをいただき、6月29日の会合に出たらもうその場で10月にやる「笑学校インあきた」では一人一芸をやるという話になってしまったのである。その場では何をやったらいいか皆目見当がつかなかったのだが、家でいろいろ考えていたら今まで書き綴ってきた医療現場でおこった「おもしろい話」をネタに漫談風にやってみようかという気になったのである。楽しいエピソードの情景を思い描いていたら、ふと「な、なんてこった!」という言葉が浮かんできてそれを自分の芸名「南々亭骨太」にしてしまったわけだ。
さて、次は観客が多かった要因を探ってみる。観客の一部の方に話を聞くチャンスがあって、それによると秋田魁新報の「地域情報」欄に載ったことと読売新聞の折り込みに掲載されたことが大きいようだ。事実、すずきクリニックの患者さんは20人弱で知らない方が大半だった。新聞の情報で私を知っている方がわざわざ来てくれた例もあった。また、すずきクリニック周辺の泉地区の方もいたが、私は院内とホームページでしか宣伝してなかったのでやはり新聞の力が大きいようだ。新聞社への告知をやってくれた人星亭喜楽駄朗さんの力を借りました。
さらに「笑学校」のポスター、バナー、時間割、看板、そして衣装は自分で前もって製作しておいた。すずきクリニックでの開催だったのですずきクリニックのイメージカラーを使い、A4用紙をバナーは8枚、時間割は9枚、看板は4枚に拡大印刷して貼り合わせた。ただ衣装は前日になって作り直した。当初は前回の「笑学校インあきた」で使った白衣をそのまま使えばいいと踏んでいたのであるが、前日、一人でリハをやっている時に裏に縫い付けた名前が剥がれてきて、あわてて縫い直すことになった。ただ四隅だけを留めてもまたほつれるだろうと思って、ミシンを持ちだし名前の布の端をかがり縫い(ほつれやすい布端を処理する時の縫い方)することにした。ボビンに糸を巻くことからはじめ2枚の布を仕上げ、それぞれ白衣の裏に縫い付けた。また、決めのポーズの度に白衣を開くのだが、いちいちボタンをはずしているとタイミングずれることがあり、他の人から「マジックテープにしたら」というアドバイスを受けてたことを思いだして、こちらも白衣に2枚手縫いした。結局、寝たのは3時を過ぎていた。
今回は当日、報道関係4社から取材を受けた。何が注目されたかは定かではないが私は「笑いが健康にいい」ことを強調し、「一診一笑」(一回の診察で必ず一回は患者さんの笑い導き出すこと)が自分のモットーだと話した。単に趣味の延長でお笑いをやっているわけではなく(そういう面もあるが)、自分が携わっている医療から自然と発展したという意味を込めたつもりだ。このようにいろいろな意味で私にとっては一大イベントが無事に終わって安堵している。次の私の出番は来年1月18日に開催予定の「笑学校インよこて」だ。
(写真は当日の様子を伝える朝日新聞全国版の記事(2008年12月14日付「青鉛筆」)。著作権は朝日新聞社に帰属しますので無断転載できません)


昨日(12月13日)、日本笑い学会東北支部秋田県人会主催の「笑学校インすずきクリニック」が当院で開催された。午後1時半頃から人々がすずきクリニックに集まり、午後2時の開始10分くらい前には用意した席がほとんど埋まってしまった。最終的には、ふだんは閑散としているすずきクリニックの内科待合室に81人という予想を遙かに超える観客が集まり、やむなく立ち見をお願いしたり、小児科待合室や診察室からもイスを運んで何とか対応した。
この「笑学校インすずきクリニック」は去る10月19日に秋田市の遊学舎で行われた「笑学校インあきた」の打ち上げの席でひょんなことから決まったもので、秋田県幹事を務めておられる人星亭喜楽駄朗さんの「病院にこそ笑いを!」という考えが強く反映されたものだ。私は「笑学校インあきた」で人生で初めて人前で笑いをとることに挑戦し、そこそこウケた勢いで当院での開催を快く引き受けたという次第だ。
さて、今回の「笑学校インすずきクリニック」は定刻よりやや遅れて校長先生(人星亭喜楽駄朗先生)のあいさつからスタートした。1校時目が私の出番で「これだから医者はやめられない」とタイトルで医療漫談をやった。ネタを少し入れ替えて臨んだ今回は手を伸ばせば握手ができるような距離で多くの観客が笑ってくれたおかげで1回目よりは格段にうまくいった。ネタを先にしゃべったり、決めのポーズを忘れたりとミスはあったが、観客からの声にもアドリブで受け返すことができたし、私としては合格点を自分にあげたいと思って舞台から下がった。
その後、2校時目がにこにこ亭すーみやん先生の実演を交えた「環境問題を語る」コーナー、さらに3校時目に「おえ一番だ」という笑話語亭つるかめ先生の語り(ビデオでの上映だったが何度聞いてもおもしろい)、そして4校時目のトリは人星亭喜楽駄朗先生で「アカデミック漫談〜笑いのテクニック〜」という笑わせ方の講義で締めくくった。最後に「お笑い体操」をみんなでやって笑学校は無事に終了した。私はすずきクリニックから出ていく観客のひとり一人にお礼を言って全員を送り出した。外を見ると大いに笑って熱くなった体をクールダウンしてくれるかのような小雪が舞っており、私にはとても印象的だった。
(写真は当日のスナップ写真。撮影は石井孝也さんです)